初めまして。『石川 匠』と申します。
現在22歳でYou&I Partners(株)の副社長をしてます。
500万超の借金を背負い大学を中退し、様々な苦境を超えて
会社設立するまでの経緯をお話していこう思います。
1.誕生〜高校生まで<生い立ち>
1997年6月20日、未熟児として誕生。18歳まで大阪市中央区で育ちました。小学校入学と同時に、幼なじみのきっかけで剣道を始め、剣道に没頭。
小学校4年生の時に、自分の父親と55歳も歳が離れていることに違和感を感じ自分が『隠し子』だという事を知りました。
そんな事もあり、中学生になるタイミングで反抗期を迎え、一所懸命に取り組んでいた剣道の熱も冷め、何度かお巡りさんにお世話になるように、、、
当時から、お調子者の性格は変わらず、周りにはいつもたくさんの友達がおり楽しく学校生活を送っていました。
中学3年生になり、周りが受験勉強に励むのを見て、自分の進路について考えるようになりました。
しかし、まともに勉強していなかった為、担任の先生から出された進路候補はどこもパッとしないところばかり。
いっそのこと中卒で仕事に就く事を考えていました。
そんななか、何校か剣道推薦を頂き、高校に進学することが出来ました。
高校生になってから、自然と中学校の友達とは会わなくなり、純粋に剣道に励む高校生活を送っていました。
大阪府予選では三位、近畿大会でも三位と、ぼちぼちな結果を修め、大学も剣道で進学することに決めました。
2.大学入学〜大学退学
神奈川県にある東海大学の体育学部に入学し、剣道部寮に入寮。
・剣道部の規則としてアルバイト、原チャや車の運転禁止。
・一年生は半ズボンとサンダル禁止。
・毎日点呼があり門限は20時45分。
といった体育会系の学生生活を送ります。
しかし、入学して3ヶ月後、父親に500万程の借金がある事を知り、大阪に帰郷。
当時、病で衰弱した父親と、鬱病ちっくな母親には精神的な余裕もお金も無かった為、夏休み期間にホストや建築系のアルバイトをしてお金を稼いでいました。
夏休みが終わり、神奈川に戻ってからもアルバイトをしながら学校に通う生活に。当然、部の規則に反している為、剣道部を休部する事に。
授業がある日は、夕方から22時まで居酒屋などのキャッチをし、22時から早朝までカラオケの夜勤で働いてから授業に参加。
授業が無い日は朝から通信回線の訪問販売をし、またキャッチ、夜勤を繰り返していました。
この頃から大きく生活リズムが変わり、休み無く働いていた為、体も心もボロボロに。
それでも借金完済までの目処はたたず、いつしか学生ローンや消費者金融から借入、どんどん悪循環に。
そんな時に転機が訪れました。
訪問販売をしていた会社のO社長から、本格的に営業会社を作ろうと声をかけてもらったのです。
このままではいつまで経ってもこの生活から抜け出せないと思い、迷わず大学を辞める決断をしました。
実質、大学に在学していたのは半年間だけでした。。。
3.大学退学〜生活
大学を辞めてからはアルバイトを夜勤だけにし、完全歩合制の訪問販売を通してO社長の元で営業を学ぶようになりました。
気づけば、あっという間に人数も増え、半年後には14、5名の組織になっていました。
しかし、悲劇は突然訪れます。
O社長がいなくなり、連絡も取れなくなります。いわゆる『飛び』です笑
集まった組織も半年で崩壊し、僕自身の生活も半年前のアルバイト地獄に後戻り。
朝から夜まで風俗のボーイをし、夜から朝までカラオケの夜勤。
いつしか家にも帰る事も出来無くなり、アルバイト先で寝泊りするようになりました。
そして二度目の転機が。。。
崩壊した会社で、一緒に仕事をしていた高原(現You&I Partners代表取締役)から、もう一度訪問販売からやり直そうと話があり、会社設立を目標に再スタートしました。
コメントを残す